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「・・・・・出てもらってすみません」 「しもよ、わしゃもう二年もまえのことなんぞほとんど忘れてしまったぞよ」 「はあ。 じつはわたしも記憶に自信がなくて・・・。 でもお師匠と行った旅ですから、写真を繰りつつ互いに記憶を引き出しあえば、対談形式なら忘れてたものも或いは思い出すんじゃあないかと思いまして」 「そこまでして記事を完結させねばならんのかね。 二年前の旅のことなぞ、読むほうにすれば既に興味も価値もなかろうて」 「致し方なく、余人のことはどうでもよろしゅうございます。 ただこのブログは最後に製本化しようとおもってますので旅も散策記事も書き出したものは全て完結しときたいのでございます。 他念はありませぬ」 「ふむ・・・。 にしてもめんどくさいのう。 それに何度も言うようだがわしゃ忘れてしまったぞい。 そんなわしが相手でもかまわんのかね」 「そりゃあもうっ、師匠が居てくだされば鬼に金棒ですよお。 それにブログで公式に宇佐山先生とお話しするのは久しぶりでございますから、世上数多いらっしゃる先生の隠れファンからすれば垂涎ものの章になること請け合いでございます」 「隠れ・・ファンじゃと? ・・・おるか、この宇佐山贔屓の者が」 「おおやけに云ったことは今までないのですが、じつは当エキサイトブログの 「検索キーワード」 では、うさやま、にんじんさい、うさぎなど、とにかくこれらが常に上位を占めてございます。 言わずもがなこのことはすべて宇佐山人参斎先生のことでありましょうことは瞭然。 吾が姪なども、会うたび、あのうさぎは元気か、うさぎを出せ、とうるさいほどにございます」 「まことか、しも、わしゃそんな人気者であったかっ。 ・・・やはりみっふぃーや奈良のせんと何某なんぞに負けておらなんだか・・・」 「先生を傾慕すること老若男女貴賤貧富を問うておらぬようにございます。 これは偏に先生のうさぎ柄・・・いや、お人柄に拠るものでございますな、世上では徳人識者で通っておられるようにございます」 「え?」 「よくよくかんがえたら二年まえのことも昨日のことも、脳から記憶を引き出すにおいてはそれほど大差のないことだ。 それに、なによりわしは画面の前におるわしのファンどもにわしを放散してやらねばならぬ。 この宇佐山人参斎、存分にわが阿頼耶識から敦賀の記憶を引き出して進ぜよう」 「あっ、師匠よろしゅうございますかっ。 では読者諸賢、ここからの 『敦賀へのみち』 は最終回前夜にして、なんと吾が宇佐山人参斎先生に登場していただき進めてまいりますぞ。 宇佐山先生、どうぞよしなに」 「応よ」 「では進めてまいります。 まず前回の記事ですが、我われは越前敦賀に到着してから温泉に入り・・・偶然にも氣比神宮の夜祭に遭遇いたしました」 「たしかわぬしが氣比の大鳥居の笠木にとびのって・・・仕舞いには町衆からほうきや竹で突つかれておったあの晩の祭りか。 それにしてもあの騒ぎはいったいなんだったのだ」 「そのことはともかくと致しまして、そのあと、到着時に見つけておいたスーパーマーケットに酒肴を買いに行ったのでございます・・・」 「それにしてもわぬし半額のものばかり買うとるが・・・旅先でも吝嗇癖はぬけんのかね」 「おやっ、これはこれはお師匠ともおもえぬお言葉。 たしかにこの下山惟鴒、世上では吝嗇家でとおっておるようにございまするが、写真のこれらはあと数十分で廃棄処分されるところをわたくしが ”身請け” 仕ったのでござる。 お師匠をまえにして釈迦に説法ではございますが、わたくし手前の通う弁当屋でひとつ気づいたことがございます。 それは、食べ物とは本当に偉い、ということにございます」 「食い物が偉い・・・とな?」 「はい、わたくしなどよりもうんと偉うございます。 お弁当のフタを開けていつもおどろくのは、たかが人間が食う一食分のなかにどれほどのいのちが死んでおるか、ということです。 その死んでくれたいのちを頂戴して、わたしは自分のいのちを絶やさずに生きることができまする」 「ふん、ホトケくさいことをぬかしおって。 では下山子よ、訊くが、であるならばわぬしに食われたその ”死んだいのち” とやらは今はどうなっておる。 そのものらは貴公に偉いと思われつつおかげで大往生できましたありがとう、とでも言うておるのか」 「・・・よくはわかりませんが、死んだいのちというものは死んではおりますが死んではおりません。 たとえば人間は死ねばだいたい火葬にされますが、焼けばけむりが出まする。 そのけむりは空に消え、やがて水蒸気などと合わさって雲になり、その雲は雨を降らします。 降った雨は地面に浸みこみやがて土壌の栄養として草木が育ち花が咲きます」 「ほう、その咲いた花に死んだ人間の笑顔をみよ、とわれは申すか」 「見ようとおもうひとには、そこにその故人を見ることができるとおもうのでございます。 今云ったことは超感覚的なはなしではなく量子力学的ないのちの遍満性、連続性についてそうおもうのでございます。 とすれば、物理的角度から眺めてもいのちというものは多分に永遠性を含んでいる気がいたします。 死人も花も食べ物もわたしも、たまさか今生役柄がちがったというだけで、天に太陽がのぼってすべてを照らし続けてさえくれればこの世界においてすべてのいのちに格差はなく同等であるのではないでしょうか。 これはお師匠さま、西田博士のいう絶対矛盾的自己同一と概念的には同じでありましょうか」 「おい、著作を読んだこともないくせに西田などと憖い名を出すものではない。 ・・・とにかく、わぬしが言うその偉い食い物たちの ”いのち” を全うさせんがため、わぬしゃ 「半額」 ばかりを選んだと申すのだな」 「このまま捨てられてはなんのために生まれてきたのか、それよりはやつがれのようなものでも食ってあげればよろこんでくれるかなと思いまして」 「銭の問題ではないのかね」 「むろん、ござらぬ、とは申しませぬ。 ただぜにかねの勘定など生きていくうえでじつにつまらぬもんですな。 まあプライオリティとしては最下でございます」 「・・・・・。 恵比寿ビールっぽいですが、たぶん第三のびーるです。 「敦賀限定」 とかじゃないですか」 「そんなっ、欺くなんてめっそうもないことですっ。 ・・・それにしても買い物途中に何者かがわたしの買い物かごにビールやワンカップを投げ入れたか・・・或いは当晩松原に相客が居たのかもしれませぬなあ。 いずれにしても二年前のことゆえそのあたりの消息はよく憶えてござらぬ」 「ちがうんですよ、行ったスーパーがわさびは呉れたんですけど 「しょうゆ」 は分けれない、って言うんです。 廃棄ぎりぎりの刺身買ってやるんだから ”金魚” のしょうゆくらいよこしなさいよって云ったんですけどね、まあ大阪人らしく店員と一悶着してやりましたよ、ほんとけちくさいスーパーでした」 「ふつうタダで醤油など呉れぬだろう」 「刺身を見てくださいよ、「 ”北海道産” 甘エビ」 ですよ。 ここ気比の松原敦賀港からは北海道行きのフェリーが就航してるんです。 松原越しに見る海は渤海国だけではない、甘エビをほおばれば北海道・・・かの蝦夷地をちかくに感じるかもしれず、甘エビはそのフェリーで運ばれてきたのかなとか、とにかくそうゆうのもあってせっかく甘エビを買ってやったのに、スーパーの店員はそんなこと説明してもただ困った顔をして 「しょうゆはやれない」 の一点張りなんです。 敦賀人は融通無礙ということを知らない。 そのてん、上方はいいですなあ。 人口の多いぶん馬鹿を目にする割合も多いですが融通無礙を知っているひとは少なくない。 お願いすればひょっとしたら、というきぶんがあるんです。 ”松吹く風蕭蕭たり”、というところですかな、越前敦賀は北陸圏のせいか商いもさむざむとしたもんですよまったく」 「いよいよ本性をあらわしたるや、やはり人間隠せんものよのう。 馬鹿とか買ってやったとか・・・わぬし越前どころか畿内中の人間を敵にまわすつもりかね。 それに、「ゆうずうむげ」 を一番知らんのはお前さんのほうじゃないか。 馬鹿という人間こそ馬鹿だ、と言われる所以ぞ」 「・・・あっ」 「まあよいわさ。 にしても景勝地である気比の松原で夜宴など、あの晩は贅沢だったのう」 (※夜景モードで撮影) 「まあ朝の準備運動がてら太極拳のものまねですなあ。 たれもいませんでしたからね、存分に汀を独り占めできました」 「ここはその赤松が一万二三千本はあるだろう。 むろん街中ではない海岸林ゆえ泊まった晩は辺り漆黒にちかい闇だったのう」 「ええ、たしか夜10時くらいまではささやかながら街灯らしきものも点いてたんですが、それがいっせいに落ちたんですよね、で、消えたとたん真っ暗闇になりましたな(笑)」 「へんなはなし、お化けとか妖怪とか怖くなかったかね」 「怖かった、という記憶印象はあまりございませぬなあ。 そもそも余人からすればわたしこそ松原に棲む化生と思うたことにございましょう。 すこし飲んでから散歩とかしちゃいましたからね、闇の中で人のかたちをした黒い影が蠢いておるわけですから、わたしがこのときのわたしを傍から目撃したとすればどう見ても氣比の妖怪、ばけものと思うでしょうな」 「きれいでしたね。 我ら四半刻ほど汀に居ったのではありますまいか。 よろしゅうございました」 「たしかに食ったが、わしゃ写真を見るまで忘れとった」 「近所の翁媼じゃあるまいし・・・。 どうだ、やはり気比の松原での散歩は格別だったかね」 「まあ散歩以外やることがほとんどありませんから(笑)。 先生はずっとリトルカブに居られましたからね。 きもちよかったですよ」 「はて・・・わたしばかりもどうかとおもって不意に先生も撮ったのかしら。 それにしても先生お顔が・・・、表情が悟ってますなあ。 なんですかこれは」 「左様でございます。 このみちは地方道33号線だと思うのですが、側溝に錦鯉が泳いでござった。 それを先生が捕まえようとして・・・」 「おい。 ・・・途中で止めたであろう。 あの鯉どもは松原村の、敦賀の民みんなの鯉ぞ」 「でございますな、持参していたゴミ袋を網のかわりとして試みておられましたが幾分側溝が深うござったし家屋から人の目があってやむなく途中でだんね・・・」 「おい。 ・・・だからいま言うことではなかろうて」 「松原からすぐでしたね。 氣比の鳥居は朱の色が佳かったですなあ」 「人なんぞ、社寺参拝というものはそのほうが佳いのだ」 「ほう、またゆく気かね、敦賀へ」 「この旅ではゆけなかった金ヶ崎城址と、松原神社に唯一ひと棟遺っている 「ニシン蔵」 を訪れたいんです。 わたくしにとってもう一度敦賀へゆく価値は充分にございます」 「たしかに。 正面にのびる道路を京の四条通と見立てれば・・・。 つまりこの景色は東山の八坂神社、その西楼門から見た風景に多少似てなくもないのう」 「わたしもそうおもいました。 碁盤の目のような京のまちなみに似せて作ったとは思いがたい敦賀のまちですが、この風景、区劃は咄嗟に八坂からのそれを連想しましたね。 たしか同じ西向きですし、ひょっとしたらなにか意図があるのかもしれないなあ、なんてこのときはおもいましたですなあ」 「じゃが道路をはさんだ南側の一区域はまず殺風景な飲み屋街であったのう。 港湾関連の仕事など出張で訪れたものたちなどが接待その他で利用するんじゃろうて。 ひるがえせばわしらのような行旅人のほうが敦賀においてはめずらしいのかもしれぬ」 「氣比神宮の附近をすこし歩いてからは港のほうへもゆきましたですねえ。 お天気がよかったですな」 「そういえばわぬし、このとき犬を連れた親仁に怒鳴られたではないか(笑)」 「おお、そうでござった。 わたくしどもが入ってはいけないところに気づかずカブごと進入してて(笑)、「そこ入ってはだめなんだでえーっ、危ないんだでぇーっ」、っておやじさんから大音声で注意され申した。 ところで師匠、この 「だでえ」 は、これは敦賀の方言なのでございますか」 「いやあ、存ぜぬ。 にしてもこのおやじ、勝新の映画に出てきそうな博徒風の親仁であったな。 察するに長年を海の上で過ごした敦賀の元漁師と見たが、いずれにしろぞんざいな親仁だったわさ」 「我らが非を認めたのち、おやじさん敦賀人しか知らないような観光ポイントを我らに教えてくださいましたが、行ってみたけどなんだかよくわからぬ処でありましたな(笑)」 「ふん、朝から要らぬ時間を使うたわい」 「しめるのはよいが・・・まことか? この続き、最終章がまた二年後とかではなかろうな」 「おそらくは」 「おいおい、おそらくは、ではいかんだろう」 「読者のみなさーん。 次回も宇佐山人参斎先生、登場いたしますよー。 おたのしみに・・・」
by utaushimoyama
| 2014-11-15 15:12
| 気比の松原カブ一人旅2012初夏!
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