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ところで、この大堰川は場所によって名称が異なるようで、たしか上流から保津川・大堰川(大井川)・桂川、と、おおざっぱに云えばそうだったような気がする。 おなじ川でもその名称如何によって随分と印象がちがってくるんだから、なんというか日本はたのしい。 目の前に見えている井堰は 「一ノ井堰」 というらしいが、その端緒は五世紀末ごろにさかのぼるという。 この水利施設から流れゆく洛西用水はいまだ以て下流地域の田畑を潤しており、「大井川」、あるいは 「大堰川」 という名称はそのころからのものなのだろうか。 ちなみ川岸にあったプレートには、 「一級河川 かつらがわ」 とあったが、この附近を散策するにおいてこのプレートは別段見なくていい。 「これは、紅葉の季節はどれほど美しいことになるのか」 ともおもったが、むろん新芽・若葉あるいは夏草のかおりなど、陽に照り映える盛夏の翠も捨てたもんじゃあない。 先の季節を想うより 「今をたのしむが妙法」 である。 作者は、この日のわたしと同じように夏の陽を避けようと松の木蔭を佳しとし、ここに座った。 そして 『嵐山』 と題したあの絵を描きあげたのにちがいない。 それがポストカードに印刷されていまわたしの手元にある。 「渡月橋」 と書かれた欄干のとなりに写りこんでおきさえすれば、この日自分が嵐山に居たという最良の現場証明となろう。 現在の 「渡月橋」 は長さ250メートル、たしか橋脚などは鉄筋コンクリート製だが欄干部分は檜材を用いていたはずである。 この橋にもむろん歴史があって、もともとは法輪寺の参道であったためいつのころか 「法輪寺橋」 と呼ばれていたのだが、のちに亀山上皇が渡月橋と改名された。 橋の名称として正式に下賜されたのかどうかは調べてないのでわからない。 さらに渡月橋は、安土桃山時代から江戸初期にかけての京の豪商・角倉了以の河川開鑿事業などにより架かっていた位置も現在とはちがい、以前はもうすこし上流のほうに架かっていたらしい。 ちなみ高瀬川を開鑿したのも了以である。 最初、「渡月橋」、と聞いたとき、 「 ”ひびき” がいいし字面もいい。 それに昔の人はなんだってこんな雅た名前をつけれるんだろう」 よっぽど閑なんだろうな、とおもった。 当人はどうだか知らないが閑だから無意識的に刹那をたのしめ、思考したものを言語化したりかたちにしようとする。 亀山上皇が、 「渡月橋」 と、第一声言い放ったのはきっと夜のことであったろうし、芸術それら感性というのはやはり夜に生れるものなのだろう。 つい昼寝をしてしまう閑人たちが夜な夜な起きてきてなにごとかに美的価値をおもいつき、そのことについて皆で活動したりする。 閑人たちの所産、と云えばたしょう乱暴かもしれない。 夜空にうっすらと輪郭を描く山々の稜線と濡れるような陰翳が背景としてある。 そこに、世界を唯一照らす蒼き月がのぼりはじめる。 やがてその月に照らされ見出された橋が、しっとりと甘美な雰囲気を装飾して大井川に架かった。 そこに居るものの視線や意識を集めてしまう。 蒼き月が閑かに、幻想的なこの橋を渡りはじめている。 大井川の川面もうつくしいがあくまで脇役だろう。 とかく人々の目にとまるものはすべて月のせいである。 このときの月とは艶やかな女性とかんがえたくなる。 夜を秘めやかにゆきたい貴女がその容姿艶麗なために周囲に気づかれてしまう。 (橋を渡ってしまったら、あのひとはいったいたれと逢うのだろう) この時点では月と橋こそがこの景色の二大主観であり、その光景は互いの相乗効果によってさらに詩的に昇華されたにちがいない。 「ほうほう」 と、ながめるうち、上皇はふたつの主観を遊ばせて歌を詠んだり日常に準えてみたり、また物語などを創ったりしてその時間を大いに楽しんだことだろう。 亀山上皇にすれば何気ない時間だったそれらの総括が 「渡月橋」 という橋名に集約されたのだと筆者はおもいたい。 もし上皇が貴人ながら凡庸であったなら渡月橋などという典雅な橋名など顕れなかっただろう。 美しいものはなにか、なにが我々のこころを踊らすのか、そのことを直覚し理解できうる詩人であったからこそ、その佳景におもわず名を授けたのである。 「渡月橋」、と、ぽんっ、と先に浮かんだのかのちになって思いついたのかはよく知らないが、とにかく皆で観月でもしてたのか或いは想い人と秘めやかな逢瀬をたのしんでいるときであったか、シンプルでありながら含蓄があってとても魅力的なこの橋の名に後世の我われはなにか惹きつけられてしまう。 いつの時代のひとたちもこの橋の名を呼べば陶酔し、そしてそれぞれがなにかを想いながら渡ってしまうのだろう。 これが 「法輪寺橋」 のままだったら、むろん今ほどひとびとのこころを衝くことはなかったにちがいない。 行ってみると、駅前の 「はんなりほっこりスクエア」 ではいたるところにイルミネーションポールという電光柱が立てられ、天井などほぼ全面にびっしりと竹が打ち付けてある。 ポールを彩る模様はどうやら着物であるらしいが、まこと他所の駅前では有り得ないような雰囲気であった。 夜はさらにきれいだろう。 このときの時刻は朝10時ごろだったが、さっそく観光客はスクエア内のベンチというか床几に腰をかけビールなどを飲んでいた。 わたしは案内所で地図と ”うちわ” をいただいて、嵯峨散歩のつづきである。 「書生の計略」 といっていい。 わたしは旅や散策にはかならず魔法びんを持参しお茶など移しかえては、それをすこしずついただくのである。 むろんペットボトルよりはしばらく保冷されるからすっきり美味しい。 この魔法びんはもう10年以上使っているが、当方白湯を飲むためバイト先にも毎日持って行っている。 当時千円で買ったものだが、作りが真空断熱なのだろう、保冷保温とも充分すぎるほどである。 我が家では大車輪の活躍をしてくれるアイテムのひとつなのだ。 「竹林の小径」 といって、孟宗竹が天を覆いつくすほどみちの両側いっぱいに群落している嵯峨屈指の観光名所である。 メインの通りからひとびとが吸い込まれるようにそのこみちに入ってゆく。 筆者は何年か前にこのこみちを通ったが、そのときはたしかリトルカブでゆるゆると走り過ぎただけのように憶えている。 はたして今回は散歩である。 どのような観が展開しているのだろうか。 「よろしい。 ここからは ”上品” にゆこうではないか」 わたしは氷上をゆくスケーターが如く竹繁る夏のこみちにターンした。
by utaushimoyama
| 2014-08-05 18:47
| 嵯峨の夏こみち..2014
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