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伊勢国も人々が蝟集する都市と云ってよく、京・大坂・江戸などという大都市に遊郭があるように、近世の伊勢においても遊郭が発展した。 京の島原、江戸の吉原などと言われるように 「伊勢の古市」 と呼ばれた遊里がそれである。 内宮と外宮を結ぶ参宮街道沿いは全盛期において人家342軒、寺三箇所、大芝居場がふたつ、妓楼七十軒という盛大さであった。 参宮を了えたものが遊郭へあそびにゆくことを、 「精進落とし」 と、いう。 古市では歌舞伎なども上演され、殷賑のなかに多種の文化が生まれた。 遊里・古市は天明年間にその隆盛を極めている。 くりかえすが妓楼の数は七十軒にものぼり、遊女の数は千人も居たらしい。 なかでも備前屋、杉本屋、油屋は古市の三大妓楼と呼ばれ、その 「油屋」 の千代という人が奉納した絵額が、今でも松尾観音寺の本堂外陣に懸っている。 この絵額はいつの時代のものなのかよくわからなかったが、妓楼 「油屋」 は寛政八年(1796)に刃傷沙汰を起こし、この事件は 「油屋騒動」 として世に知られることになった。 その後、このことを題材とした歌舞伎が伊勢松坂や京、大坂で上演されたりしている。 恋愛・色情・殺傷という ”ひびき” は、古往今来大衆が感興をもよおすものなのだろう。 と、お寺の住職に訊きにゆこうとおもったが、怒るかもしれないとおもってやめた。 由緒によると、平成十七年ごろ、本堂の床を新しくした。 ところがそれから一年後のある日、ただの木目であったはずの床に突如ワンちゃんが浮かびあがっていたのだという。 「これは、龍神様です」 と由緒にある。 「床龍神」、と呼ばれている。 じつはわたしは額や絵馬になど上のほうにばかり目がいっていたので足元のそれには気づかず、気づいたときはおもいきり床龍神を踏んづけていた。 「すわっ」 と、おおあわてで飛び退いたわけだが、それにしても柵を設けるなりなんなりしたほうがいいのではないか、ともおもったりした。 最近ではこの床に浮き出た龍神を撫でると御利益が得られるらしく、別名 「撫で龍」 ともいうらしい。 さっそくわたしも撫でてみようとおもったが、撫でようとおもって手を伸ばすと、なんだか床の龍が余計ワンちゃんに見えてきた。 松尾観音寺には龍神伝説があり、本堂裏手にふたつの池がある。 「龍池」 と呼ばれるその池にはそれぞれ東に雄龍、西に雌龍が棲んでいて、本尊である十一面観世音菩薩を護っているのだという。 頂いた冊子によれば、応永十年五月(1403)、本堂が火災の難にみまわれた。 そのとき池から二体の龍が現れ出で、雄龍は燃え盛る炎を天から舞い降りつつ飲み込み、さらに自身の体を幾重にもして観音像に巻きつけた。 いっぽう雌龍は池の水を何度も炎に吹きかけ鎮火につとめるという、両者連携するかのように松尾の観音さまをお護りした、という伝説である。 ところで、龍という神格を持ったいきものは古来より風を呼ぶとされる。 おまけに、 「冬眠もするらしい」 というはなしを筆者はせんじつ知った。 唐突だが、さかなの鯉も冬眠する。 川底にじっとしてたりして、なにを考えているのか黙然と冬を過ごし、やがて春になるとエサをもとめてまた動き出すのだが、むかしの人はその鯉が龍になるとおもっていたらしい。 「鯉の滝登り」、と云うが、 鯉が河川をさかのぼって細流を経、ついに滝壺に至り飛瀑を登りきると龍になって天空に飛翔する、ということだろう。 そうおもって近所の川を泳いでいる野鯉なんか眺めてみると、魚体の色彩やウロコの具合など、いかにもお寺の天井や屏風などで見かける龍に変身しそうである。 ”ひげ” も、鯉は龍に化ると連想されたひとつの特徴だろう。 くわしくは知らないが、五月の空にたなびく屋根より高い 「こいのぼり」 も、鯉から龍へ、子供から大人へと飛翔をねがう行事なのにちがいない。 いずれにしても鯉は縁起のいい魚だが、以上は余談である。 春という季節に突風や大雨が多く起こるという日本の気象現象を冬眠から目覚めた龍のしわざだというふうに考えれば、それに因るとすれば、松尾観音寺本堂が火災に遭ったのは五月であるから、龍が活発化しておおいに天空を飛翔する光景がうかがえる。 ひるがえってこの雌雄の龍を現代的に検証すれば、火災のあったこの日春の大雨で池が決壊して本堂に流れ込み、天からの突風が炎を消し去らんばかりに吹き荒れていたのかもしれない。 であるがそのありさまのなかに、当時のひとびとは具現した二匹の龍神を目撃したのである。 そこに、本当に龍の姿が在った。 このことは現代人の我われが失った能力だと認識するほうが個人的にたのしく、またそうであってほしい気もする。 近くの池に棲む龍が松尾の十一面観音をお護りしたという出来事以来、寺では六百年以上もの間途絶えることなく、月に一度、龍の棲むふたつの池に御酒、卵、饌米をもって勤行しておられるらしい。 本来、我われ衆生をお救いしてくださる観音さまがなんと ”隣人” たる二匹の龍にたすけてもらうという、愛嬌がないともいえない神異譚ではあるが、このとき二匹の龍には別の観音が憑いていたのかもしれず、ともすれば六百年間龍池に勤めにでかけるひとたちのこころのなかにも、観音さまがおられるということだろうか。 「これ以上の災難除けの観音さまなど、他におられないのではあるまいか」 そういったことで、自ら難を逃れた 「まつのおの観音さま」 は、日本最古の厄除け観音と呼ばれ、龍神共々こんにち以て篤い信仰をうけている。 奥の護摩堂は平成十年に信者さんたちの浄財で再興されたものである。 このほか句碑や供養塔などが境内に佇んでいた。 このあと御朱印を戴くため授与所へゆくと、ご婦人が窓口越しに冷たいお茶を出してくれた。 この冷茶は生きかえるようにありがたかった。 どこかにスピーカーが設置してあるようで、山内にはお経がしずしずと流れている。 相対して蝉の啼き声がかまびすしく、いまおもえば冷茶を喫しつつ拙い句のひとつでも詠めそうな夏の日の参詣だった。
by utaushimoyama
| 2014-05-18 10:22
| 二度目の伊勢参宮カブ一人旅2013
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