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この松下社が創立された年代というのは、どうやら不詳であるらしい。 もっとも古い記録としては 『氏経日次記』 文安六年(1449)にこの社のことが記されてあるらしいのだが、どういうことが書かれてあるのか筆者は読んでいないからわからない。 境内の説明板に沿革としてその記録の内容をすこしくらいは記してもいいとおもうのだが、なんとなく松下社のほうでも明確にこたえるのを避けているようなかんじで、信憑性においては微妙であるといえるかもしれない。 ともかく、この社ではいつのころか素盞鳴尊と牛頭天王が勧請された。 松下社およびこの附近の伝承においてこの二神は同神であるという(むろん他府県にも同神説はある)。 この同神と関わりをもつ蘇民将来については、 「そののちに祀られたものでありましょうか」 と、境内の説明板には記載されてあった。 どうなんでしょうねえ、と相槌を打ったのはわたしとすれば特段どうでもよい事だったからである。 「ありましょうか?」 と参拝者に向かって質問めいたことを投げかけるこの説明には、「調べたんですがはっきりとわからずなので祀ったのはその順序ということで」 、ということを、我らに同意を求めることを言外に匂わせているようにも思える。 西欧的思考の持ち主なら自身のあたまのなかを整理するうえで多少戸惑うのではないか。 松下社では上述の神々のほか不詳一座の神も祀っている。 創建も定かでなく得体のしれぬ神様なんかも居たりして、そういう意味においてこの社の由緒はまこと神秘的で幅広い。 松下地区に伝わる町有形文化財 『牛頭天王儀軌之事』 元和六年(1620)では牛頭天王が蘇民の家に泊まったことになっている。 これによく似た説話が 『備後国風土記』 にもあり、ここでは素盞鳴尊が蘇民宅を訪ねたことになっているのだが、この際どちらの説話が先に編まれたかなどは、やはりわたしとすればどうでもいい。 ちなみ旧分国名である備後は現今の広島県東部に位置し、その一之宮として素盞鳴神社が福山市に鎮座している(備後一之宮においてはならんで吉備津神社もそうである)。 素盞鳴尊とともに蘇民将来を祀る民間信仰は、ざっと平安時代あたりから東北や関東など全国各地にひろまった。 それが、伊勢市二見町松下においては素盞鳴尊でなく、牛頭天王と蘇民将来の物語ということなのだろう。 孕む矛盾を解消すべく二神は同神である、ということにしたのだろうか。 衆生済度のため仮のすがたをとって現れる諸仏・諸菩薩や熊野権現の本地が阿弥陀如来であるということと、あるいは同心円かもしれない。 蘇民将来には避疫の神力があるとされ、その護符は往昔よりおおいに有難がられた。 そういったことで素盞鳴尊ならび牛頭天王とゆかりの深い全国各地の社寺では今なおさまざまな形状・材質の護符が頒布されている。 (正月でもないのに、あれはなんなのだろう) と、北河内人のわたしは最初見たときおもった。 今回の伊勢旅行ではのきなみぶら下がる季節外れなこの注連縄を多数目撃したのだが、伊勢の注連縄には榊・譲り葉・裏白・柊・紙垂が付いてあり、中央には木札が麻緒で結びつけられている。 写真のものは麻緒でなくビニールひもで縛り付けてあるようだが、ちなみ木札は桃符とも呼ばれその材は往時桃木か柳であったらしいのだが、現在は桧木を用いている。 その表に、 「七難即滅/蘇民将来子孫家門/七幅即生」 と墨書きしてあり、さらによく見ると四つの ”点” が付してある。 裏には 「急々如律令」 と墨書きされその左右に☆型の晴明印、縦4条横5条の罫を引いた道満印が記されてある。 ところで、この桃符には 「門」 の字がおおきく書かれ、そのあいだの 「蘇民将来子孫家」 という言葉がその門の字から突き抜けて大きく書かれているのがおもしろい。 たとえば 「閂」 という字はかんぬきと読むわけだが、この字を解くと門の入り口扉に棒をかますことによって、つまりそれによって外敵の侵入をふせぐことができ門内は安全という意味になる。 蘇民将来の桃符の会意は門と蘇民の子孫、ということはこの門をくぐって家のなかに入らば蘇民将来の子孫が居るぞ、という明確な表示である。 桃符に墨書された門を突き抜けるほどの存在、文字の巨きさといい、これは一種の恫喝的先制布告であり邪鬼や魔物からすれば危険をおかしてまでこんなのが懸っている家などにわざわざ入らないだろう。 悪疫をもたらす邪鬼たちからすればひるがえって手間がはぶけて、じつはタスカってるんですなんて思っているかもしれない。 写真はのち朱印をいただいているときに撮ったものだが、たずねたときは農作業っぽい軽装の親仁がふたり、せっせと藁を編んでいた。 作業場の入り口には注連縄がかかっており不浄の侵入を防いでいるということは、意図もたやすくここでかの蘇民将来の注連飾りを作っているまさにその現場なのだとわかった。 「そうです、最近では全国から注文が来よりますねん」 みたいな話し方だったか、とにかく筆者が訪ねたのは七月だったが、十二月中旬の 「蘇民祭・蘇民桃符頒布始祭」 に間に合うように今から注連飾りをこしらえているのだと云う。 特にここ数年、注文がうなぎのぼりらしい。 むろん松下社は松下地区の氏神なのだが、氏子や三重県人からの注文ならともかく、なんで他府県のひとがわざわざ松下社の注連縄を予約してまで欲しがるのだろう、というようなことを親仁さんは口角を上げつつおっしゃった。 「そうですなあ、たぶん蘇民の ”しそん” ちゃうと思いますねんけど」 むろん笑顔とともに愛情をもってそう話されたわけだが、そうして全国各地におられる熱心な信者さんたちのためまさに汗水たらして作業されていた。 注文されたかたは、このときの作業風景を目撃すればより有難い護符とおもえることだろう。 ところでこの親仁さんに神職さんは?と訊ねると 「わたしです」 とひたいに汗しながらおっしゃられた。 ただの伊勢親仁とおもっていた両名は、じつは宮司さんと神職さんだったのである。 (なんと松下社の境内はうつくしい質朴さであふれているのだろう) と、結構だけでなく人までデコラティーブされていない原初的醇朴さにおどろきつつ、自身の失礼さをおどろきや感動にすり替えて誤魔化したりした。 あまり人為が加えられていないと云えば、そういえば境内はヤブ蚊たちの楽園でもあった。 松下社は明確や断定を所持しない。 そのかわり、と云ってはなんだが、不思議と神秘をあるがままに受容しそして古来からの質朴さを具え続けてきた、実に日本的な神社のひとつなのかもしれないとおもった。 この参拝において客はわたしひとりだけだったはずだが、そのことで余計にそう感じたのかもしれない。 筆者はいま、自室で、”のらぎ” だった神職さんの笑顔と声色を憶いかえしている。
by utaushimoyama
| 2014-04-20 11:16
| 二度目の伊勢参宮カブ一人旅2013
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