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せんじつ、司馬遼太郎 『空海の風景』 (中公文庫) という小説を読み終えた。
空海さんはむろん我が日本国真言宗の開祖である。 筆者下山家の宗旨も代々真言宗であり、この宗教に無知蒙昧だったわたしはお大師さんとはどんな人でどういったことをしてきたのか、小説というやわらかさのなかでそれらを知れればと、あまい感覚で気軽にこの作品に触れた。 ところがやわらかい、とおもっていたがやはり司馬老にあっては硬質で、であるがたのしく読み進んでいる自分が居た。 往時の長安を訪ね歩きたいとおもったし、空海・最澄という然るべき存在が同時期に生存していたという、今となっては奇跡的なこの時代の空気を吸いたくなったりした。 この作品のいたるところに、主題は空海の、にちがいないが、メモとペンを握りしめたれかに質ねているすがたや或いは寺の縁側などで茶を喫していたり、と思えば奔ったりしてる司馬老が常に居る。 この小説のテーマは空海であり、また空海を浮彫するための作業としてその周辺のことが多々出てくるが、主人公はやはり司馬老におもえてならない。 なにかの文献を繰るその音まで聴こえてくるような近さをかんじてしまうときがあった。 司馬老は 「自分のことに話題価値を見いだせずよって自身のことなど書く気になれない」 と、物書きにあるまじきことを云ってた小説家だったのだが、なにゆえそんなひとが書く文章から、そのひとが滲み視えてくるのだろう。 伏線をはるようないやらしい人物とは到底おもえないから、そのこととのギャップがまたおもしろい。 このことはわたし自身、司馬老が小説家になるまえの職業が新聞記者であり、記者なんてじつは忍者の諜報活動と近似している、といった内容のことを著者が述べていた記事を、なにかの本で読んだせいかもしれない。 ちなみ 『梟の城』 はそうした素地があって出来上がった作品らしいことも、なにかの本で読み知った記憶がある。 一側面として 『空海の風景』 は多分に記者活動に奔走している司馬さんをリアルタイムに、また容易く司馬某を堪能できる、あまたある小説群のなかから挙げていいひとつなのかもしれない。 空海ならび真言宗について気軽に知ろう、という筆者の立脚点からの行為が、結果的に司馬遼太郎の魅力がただ増しただけの、なんだったんだといった上の空的な読了感が今はのこっている。 まあまだ一回読んだだけだから如上はその範疇をこえない感想であるし、読者諸賢に鼻で嗤われるだろうなあとおもいつつ、むろん酒も呑みつついま書いている。 ひどいものだ。 わたしは通常三冊ほどの本を並行して読んでいるが、小説部門として空海を読み終えたわたしがなにげに手にとった次の小説は、短編集である司馬遼太郎 『アームストロング砲』 (講談社文庫) だった。 この短編は何回か読んだが、空海、のそれより著者自身のすがたはありありとは視えない。 であるがそれでも息遣いや書斎で眉根を寄せているかおがあり、行間からは声が聞こえてきて宛然演劇興行を観ているような錯覚に陥る。 なんの分野であれ、ひとびとを陥落させてしまうという能力、その資質を持ってこそはじめて表現者と自分に呟ける儀式にも似た状況が、大衆の感嘆のなかで用意されているのではないか。 ところが司馬さんはその名誉ある場に、招待状をいただきつつもゆかなかった。 『アームストロング砲』 という小説は幕末あたりの出来事を編成したもので、ひさびさの短編集にわたしは夜中ながらどこかへ出かけねばと、ゆかねばならぬといった昂揚を布団で押しくるめながら、きついと解かればわけのわからぬ炭酸飲料を一気飲みし、それによってたしょう気をしずめたりした。 であるが結局、徘徊はしなかったが昨夜は読みふけってしまい、今である。 読んではみた。 よろこびつつ読んだ。 だが、ただ、そのことすら憶いだせずいずれ去ってゆくのだろう。
by utaushimoyama
| 2014-04-13 15:45
| 雑報
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