大阪北郊、そこに筆者は住する。 いま酒をのんでいる。
今日は日曜日である。 それにしてもこの週末、北河内は三月のわりに冷えた。 寒いと、目覚めててもなかなか布団から出たくないという人情がひとりながらにわく。
しかしこのままでは埒もあかず今朝も腰を高々と持ち上げ、ひとまず布団の奥ふかくにもぐりこんだ。 尺取虫は息をころす。 出るか出ないかという葛藤がこの虫のいしきに時間として一分ほど生じた。 のち、勇をふるってその姿勢から枕めがけて飛び込むように、であるが飽くまでゆるりと起き出でた。
この日わたしが自分のまえに姿をあらわしたのはあさ七時まえである。
おきぬけには白湯を飲む。 これがじつに美味い。 夜半目が覚めてしまったときも飲むが、このときの白湯もまことにうまい。
白湯を喫しながら部屋をかたづける。 茶碗を洗い終えてから歯をみがきシャワーを浴びる。 温水は程々にして最後に真水をあび、二礼二拍手一礼してユニットバスから出る。
出てからはかるい体操みたいなことをし、しぜん洗濯物が出るからそれらを全自動洗濯機に放り込みつつ、全裸たる自身は清潔な衣服を着、神棚に水と酒を奉ずる。 ならぶように拙宅出窓に安置する厄除けの ”火箸” に、門戸厄神明王に香をたむける。
お香のかおりが部屋中に満ち、室内がけむりでかすむなかわたしはベッドに正座して 「般若心経」 を誦する。 このことはお休みの日だけでなく今年最近から日々のおこないになっている。
上記のことどもをおえてから菓子パンと缶コーヒーを手元にひきつけブログであそぶ、というのがわたしの休日のたのしみであるというのはこれ以外にアップしてきた記事のなかで何度も書いていることで、またこのことを書き、そのながらもう酔ってるなと思いつつだがまだ酔ってないらしいことも知っている自分が居る。
ひとりであそんでると腹がなった。
冷蔵庫に鳥肉があった。 なのでこの日は親子丼のフタ部分を作ってみたが、見た目はプライパンのままでなんとも無愛想である。
拙宅、窓からの風景がいまだ明るい。
なんだ、外はまだ明るいじゃあないか思いつつ、こころの傍では日常的にやっていること、家事など、そのことに自身の蒙昧をひらくすべてがあるような、最近そうおもえるような書物をよんだ。
まあころころとわたしのきもちは常に変わってゆくから、他者に対してはいまはそうであります、といったものだろう。 ところが自身に対しては変わりつつも変節してないらしいというのがおもしろくもなやましい。
住まう一室がむやみにひろく、さらにその空間が無秩序に拡がってゆくような、一画を除き荒涼とした地平が360度に現出してくるかんが、これは酔漢だからゆえ観えゆるものなのだろうか。