カテゴリ
全体 音楽のこと 雑報 リトルカブ真秀 神社仏閣参詣 おでかけ ♪ 神棚、お土産や小物 お師匠さまっ!(^ワ^) 琵琶湖一周カブ一人旅2010夏! 天橋立カブ一人旅 2010 秋! 出石そばカブ一人旅 2011初夏! 近江湖北カブ一人旅 2011 春! 新宮へのみち..カブ一人旅2018夏 ソロキャンプツーリング 琵琶湖リトルカブツーリング 2017 伊勢詣と日本人..カブ一人旅! 気比の松原カブ一人旅2012初夏! 建部大社多賀大社カブ一人旅 二度目の伊勢参宮カブ一人旅2013 熊野本宮大社カブ一人旅 2013 丹後半島カブ一人旅 2013 京都東山散策2010冬 貴船神社、鞍馬寺 大和郡山へのみち..2011 立春 京都宇治散歩..2011立春 祇園上ル下ル..2011五月 信楽 MIHO MUSEUM 石清水八幡宮..2013正月 若狭国一之宮..2013夏 嵯峨の夏こみち..2014 日帰りカブ琵琶湖一周 2014秋 石上神宮..2014夏 隠り国長谷寺..2014秋 門戸厄神..2014秋 北野天満宮..梅花慶春2015 三島神社..2015水無月の薫蓋樟 大和葛城をゆく..2015立秋 吉野山カブ散歩..2015立秋 春の鯖街道..2016 河内國一之宮枚岡神社 バイト先の人々 保健衛生について メモ プロフィール 志摩国一之宮カブ一人旅2016 琵琶湖ツーリング 2017 丹後半島リベンジ!カブ一人旅2018初夏 しもやんめし マンボウへのみち...2019 GW! 龍神へのみち 2019夏 しもやーん。
リトルカブで一人旅
社寺参詣 キャンプに家料理 酒人五十 鴒庵道林 最新のコメント
以前の記事
2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2019年 10月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2009年 10月 ブログジャンル
画像一覧
|
「阿蘇のうみをゆく一帆張りの船が愛らしくおもえましてね、おもわず購入してしまいました。 このとき売り子としてふたりの親仁が居てたんですが、御守りなど物色しつつその親仁らの会話を傍らに聴いておりましたら、どうやらこの手ぬぐいは観光客になかなか人気な土産品らしいんですよ、いちばんの売れ筋商品、なんて俗なことも言ってたかな」 傍らに聴く? つまりふたりの会話を盗聴した・・・と? 「・・・もう慣れましたよ。 それにそういう詮索もこのブログの文字数を増やしている一因ではないでしょうか。 質問に対するこたえを述べるなら盗聴ではありません、言うなれば仄聞でありそこにわたしの個人的意図や意識はありませんでした」 なら結構にございます、観光客を装った悪漢の侵入を防ぎ駆逐することも一丹後人としての役目であるとちりめは思っておりますゆえ・・・ご無礼なことを申し上げました、お許しくださいまし。 「おや、非をみとめ即座に謝罪なさるとはなんと清々しい。 なるほど猫山さんは潔白でまこと正義のこころをお持ちだ。 それにどこか城下町をゆく武家の奥方のようなおもむきがあっていつも端然としておられるから、丹後女性の一典型を猫山さんにみてしまいそうになりますな、いや、見習いたいものです」 このちりめ、我が郷土丹後の国を侵食なさろうとするものあらばひとりとして生かして他国にはかえしませぬ。 各役所に通報し、捕り籠め、ちりめは薙刀を大旋回させそのものの首を”薙ぎ払う”ことに相成りましょう。 「えっ、くび?・・・ああ、なるほど精神論を言っておられるんですね、それはそれは、はは、なんとも勇ましいかぎりですな。 ところで・・・初耳でしたが猫山さん薙刀をお使いで?」 流派は申せませぬが、多少。 「なぎなたは・・・いわゆる竹光ではなく本物を・・?」 双方所有してございます。 真剣のほうは無銘ながら曾祖の代以前より伝わるまこと業物で・・・その刀身は観る者を吸い込むように惹きつけつつ辺りに鈍く晃り、刃紋は艶然たる曲線を描いてございますが・・・ところが艶然とは程遠い、恐ろしゅうございますがわたくし猫山家の所有する薙刀は往昔より幾度も人の血を吸っているようでございまして・・・父からそのような語り伝えを聞いたことがございます。 さらに父はこの薙刀には猫山家の守護神が宿っているとも言い、鞘から刀身を露わにし、ひとたび握るといつも・・・恐ろしいばかりの力が渾身にみなぎるのでございます。 ・・・まるで軍荼利明王様でも憑いたかとおもうほどに敵を、我が丹後に害をなすものどもを打ち払いたくなるのでございます。 「いや、はっはっは、それはそれは・・・まこと心づよいかぎりです。 猫山さんがいれば丹後の国も安心だ。 ところでまさか旅人であるわたしをその薙刀で斬らんでしょうな? なァンてこと言ってみ・・」 じつは今日このスタジオに持ってきてございます。 「えっ、なんで?僕ちゃんとお詣りしてるし道の駅でおどろかせた清掃員さんのことは互いに交通事故に遭ったようなも・・」 今朝方研ぎに出すよう父から命じられたものですから。 収録の合間に。 「トギ?・・・ああ、なるほどそういうことですか、そうでしょうねなんでわざわざあんな槍みたいに長いもん・・・ いや、ならあとでぜひその家伝の薙刀とやらを見てみたいもんですなあ、なんなら猫山さんの演武でもって打突なんかやってもらっ・・」 見たい? ご無礼ながら拝観、とお言い直しくださいませ、我が猫山家守護神が籠る薙刀にございますゆえ。 「あとで拝観させてください。 軽佻なことばかり言ってすみませんでした」 「そうですね。 ところでいまから向かう眞名井神社は、実は日本屈指のパワースポットでもあるらしいですな」 パワースポット、という言葉は近年よく耳に致しますわ。 「わたしもそのひとりです。 にしてもパワースポットなんて言葉はまことに巧妙でいかがわしい言葉ですねえ、はじめて聞いたときはうまいこと言って導くなあ、なんて感心しました。 一瞥いかがわしく巧妙なかんじがしますが、ですがパワースポットと喧伝することによって結果的にこの国にとってよい作用があるとおもえますね。 その言葉を造って世に浸透させたひとに感心しますね」 パワースポットが巧妙でいかがわしい・・・どういうことでございますか? 「パワースポットという神聖な局所のことではなく大衆に伝えるその言語が、です。 取り違えないでくださいね。 このこともわたし一個人の考えなのですが、パワースポットを動機として社寺やその他へ赴く人々というのは、なにかベンツに乗りたいから金持ちになりたい、と思っておる人間に類似します。 つまり動機が自分の外観やなにか自分に得するといった自己優先の意識がはたらいておるわけですな。 もっと言えば美味いラーメン屋があるらしいぞ、ちょっと遠いけど行こうや、などと思って行動する人間と同じ感覚のようにもおもえます。 ですがそれでいいとおもうんですね、最初は。 きっかけがベンツであってなのでお金持ちというそこに向かうためには、なにかしらの努力や経験を幾度もするわけでしょう? そのなかでなにか別の”もの”が見え出してくるとおもうんですね。 たとえば昭和39年に門真市初の名誉市民に推輓された松下幸之助は、きっかけはベンツでなかったにせよ晩年は 「松下政経塾」 などの文化的活動をし、さらにはたしか当時隣国である中国にも惜しみなく技術提供などされたはずです。 以前なにかのテレビで観ましたが当時幸之助さんが中国のおエライサンがたにそう頼まれたとき、 『 困ってはんねやったらンなもん・・ナンボでも協力させてもらいまっせ 』 と関西弁で言われたときは、私事ながらわたしは同じ関西人として画面のまえで鳥肌が立つほどの戦慄を誇りと共にかんじました。 国境を越えて、とにかくどれほどの人民が紀州の草莽からひょこりと現れたこの松下ひとりに、物質的な面では衣食住、そしてそれに伴う安心安寧といったものをどれほど提供されたか測り知れません。 鬼籍に入ったのちもその功績が光源となり、門真市や守口市をはじめとする後世のひとたちを照らしうるおしておるわけでしょう。 もっと述べたいですが要するに起業するきっかけ、パワースポットへゆくきっかけなどは、自己本位のことでもいやらしいことでも、ワルイことしないかぎりなんでもいいわけですな、その過程のなかで何に気づくかが大きな要諦であり大切なことなんだとおもうんですね」 ではパワースポットを公言されている霊能者などのかたたちのまことの意図は、それを”きっかけ”として足を運ぶ・・・つまり参拝でございますね、その過程経験のなかで何かを見つけよ、として述べておられるのだと? 「現今ふつうの生活をしているひとが初詣などならともかくそれ以外でわざわざ神社なんて行かんでしょう(笑) 中高生などはお坊さんと神職さんの区別もつかない、お詣りしたはいいけど神仏どっちにお詣りしたのかよくわからない、なんて人も多いんじゃないでしょうか。 ちなみわたしのバイト先の主婦さんでもある同僚女子はある会社の年始行事である稲荷神の祭礼神事のことを聞き、 『 いなり行事? いなりってなに? 会社の新年会でみんなでおイナリさん食べはんのやろか? 』 などと真顔で言ってました。 とにかくそういったひとたちが社寺などに足を運ぶきっかけとして”パワースポット”、と無私公言してくれているんだとわたしは信じたいですね。 家のそばにある無人の小さなお社にゆくよりもパワースポットなんて場所にいったほうがなにかとご利益ありそうですよね、一般的に。 それがテレビなんかで大霊能者の口の端に掛けられたりすればさらに大衆の心はひびくわけでしょう? 温泉使ってカニ食って、あと特にすることないからツイデニパワースポットニデモイッテミヨウカ、最初はそういったのでいいとおもうんですね」 ご旅行の機会にパワースポットに出かけて、そのことが手がかりとなって信仰心が芽生えるかもしれませんね。 「別にみなさんに信仰せよなどと言うつもりは毛頭ないですが、信仰心というものは、そういったものを持つと人間はどうやら日常の事象事物を様々な角度からかんがえるようになるんではないでしょうか。 家で旅行の予定を組むとき、旅先の歓楽的な場所ばかり選ぶのもむろん楽しくてとてもよいとおもいます。 ですがその予定先にひとつ、パワースポットという”心身引き締まるところ”、という非観光的なものを設けておいても、旅にちょっとしたメリハリなんかがついたりしてさらに充実したものになるのではないでしょうか。 そういえば”縁結びのご利益”、なんてのもパワースポット的音響をかんじますね、わたしはまったく感興をもよおしませんが(笑) わたしみたいなさみしいぼんやり人間はともかく、そう願う単身者や或いはカップルなどはむろん行ってみたらいいとおもいます。 ”きっかけ”として行ってみて、たとえばその道中でふたりの愛は昨日より深まっているかもしれないし、となりを歩く境内の朝日に照らされた彼女の横顔に息をのむほどの透きとおる美しさを再認識できるかもしれない。 単身者ならたくさんの景色や季節の草花を見つけてはそれを愛でたり楽しんだり、そしてしずかに内観することができるかもしれない。 内観とは心を落ち着けて自分の本性や意識、体験といったものを自分で観察することです。 やったところで禅僧や哲人ならともかく見出したいコタエなんて出てきっこないし、むろん俗人のわたしだって正解なんてものは出てきやしない。 ですが自分がいまなにを考えなにを思い、そしてなにを欲しているのか、さまざまな自己を自己で客観して眺めてみるわけです」 ”きっかけ” から道中得るもの・・・。 「べつに道中だけにはかぎりませんよ、場所なんてどこだっていい。 境内でもいいし参拝が終わって飯を食ってるときでもいいんじゃないでしょうか。 ふと想う瞬間などはそのひとの性格特性に拠るとおもいますし、”きっかけ”から何に気づくかはすべてそのひとの知識や経験、そして大いにその個性に拠るでしょうな、たれかに教えられたり言われて気づくようなもんじゃありません。 そのひとがひとりで神々と対峙しいつ気づくのか何に気づくのか。 わたしだってまだまだなんにも気づいていないようにおもえます。 いま話してておもいましたが、なのでまた参拝にゆくのかもしれませんね、わたしはまだまだこれから先も参拝を続けるんじゃないでしょうか」 すこしお訊きしますが、では下山さんの参拝の ”きっかけ” とは、いったいなんだったのでございますか? 「今回も主題からだいぶ逸れてますがいいんですか? 読者が厭きてしまわないか多少不安なのですが・・・。 わたしの場合は当初、今思えば観光気分で参拝に行ってましたね。 今はもっとないですが当時もまったく金がなくて、でも何処かへ出かけたいわけです。 当時は、といっても十年ほどまえのことですが今ほどリトルカブの有用性に気づいておらず移動はもっぱら京阪電車で、ふらりと京師にのぼってはただぶらぶらと散歩したり家でつくったコーヒーとサンドイッチを鴨川を眺めながら食ってみたりしておりましたね。 むろん当時は歴史的知識などカケラもなかったですから往昔を偲ぶこともそれほどなかった。 社寺にもいきませんでした。 鳥居や山門の前をただとおりすぎるだけでよかったし、寺なんか拝観料とられるわけでしょう?冗談じゃないよたれがゆくかなんて不敬なことを思いながら、京阪電車の路銀にも事欠く始末の、そんな北河内の貧乏書生が頼まれもしないのに京のまちをのし歩いておったわけですな(笑)、いまおもうと北河内から”こつじき”が京へのぼってきたようなもんです、歩くだけ歩いておって全然金使わないんだから(笑)なんともはずかしいかぎりです。 ですがその仏教都市たる風霜千年の王城の地に我はいま立っておるぞ、のぼってきたぞ、と、とにかく京都という千年の都にたいしてそういった実感がたまらなく好きだった時期ですね」 わたくしどもは奈良朝平城京あたりからまこと確立され出した中央集権体制による国民国家の裔にございますれば、そのように”都”にあこがれを抱くことは都鄙の国たる国民性のひとつでもございますね、無理からぬことにございましょう。 ところで嫌味になるかもしれませぬがせっかく京都に来られて・・・お買い物などは? 「イヤミですな、拝観料も払う気がしないという吝嗇漢に対して(笑)。 まあ安価でよほど気に入った品か或いは実用的必要性のあるものでないと買いませんでしたね、というか買えなかった。 なので行ってもだいたい手ぶらで帰ってきてました。 食い物なんかもあるときは親子丼食ったり錦市場で食べ歩きなどしましたがそんなのはこと希なもので、ヘタなウォーキングより気づけばけっこう歩くもんだからいつもハラを空かして帰阪することになってですな、わたしゃなにしに京都へ行ってんだか、なんておもったりしてましたね。 ですがまた京へのぼっておる自分がいてたんです。 なので先に述べましたがやはりいま自分が京にいておる、後世のひとたちからすれば下山某とは現代の昭和平成期京に実在した人物である・・・そういった自分と京都を無理矢理にしてひっくるめた感覚が得たかっただけなんでしょうな。 わたしだけでなく、日本人にとって京都というまちはそういった磁力をもってますね。 そうやってたびたび京阪電車に揺られながら京都にのぼりくだりとしておりますとですね、釣り革広告かなんかで伏見稲荷の”千本鳥居”を目にしたときがあったんです。 写真でみるかぎり朱色が鮮やかで、千本鳥居とはすごそうだな、きれいかななんて、たしかそんな動機が神社に毎年訪れるきっかけになったようにおもいます。 つまり京都観光もしますが伏見稲荷にも初詣という ”観光” に出かけるようになった」 他の社寺にはあまり参拝なされなかったのでございますか? 「そうですよ、いろんな社寺にゆくようになったのは近年のことです。 このブログで偉そうなことをたくさん述べてますが諸賢からすればわたしなどまだまだ幼稚園児みたいなもんなんです。 そんなことを自覚しておりながら書いてしまうもんだから毎回マズイなあ、とあとでおもったりする(笑) とにかく当時の何年間かは伏見稲荷にだけ行ってました。 参詣という意識はうすく、くりかえしますが観光気分です。 というわけで果たして行ってみるとその千本鳥居はまこと美しく空気は清々しく、さらには京都市街を一望できたりしておまけに金もかからんわけですな(笑) おおっ、こりゃいいとおもいましたね」 下山さんの場合の動機は ”観光” が ”きっかけ” であり、そしてこんにちがあるわけでございますね。 「わたしのきっかけなどは掘削機かなんかで穿ってみてですな、その観光気分に内蔵しておるものがなんであるか調査してみると 「日常銭がない」、というガラクタも出土する(笑)、有徳人らの観光とは経済的素地が違うわけです。 そういった状況下でわたしらしくエコノミカルにどう楽しもうかと考えたとき、あるときは京阪電車がリトルカブになり、そうしているうちにリトルカブの可能性に気づき、カブで旅行されているかたのブログを参考にしたりして、それまで旅行なんて久しくしてなかった自分でも関西圏ならなんとか旅行できるのではないか、とおもうようになった。 いままでの日帰り観光が一泊もしくは二泊三日の”旅行”というものに飛躍するわけですね。 しかしながら旅行は銭がかかる。 なかでも交通費と宿泊費、そして飯代ですね。 考えるわけです。 まず交通費ですが、わたしのリトルカブは在所の北河内から周山街道で京都福井を縦貫し、そこから丹後街道で舞鶴市までの距離を約2リットル、なんとリッター70キロで走破したことがあります。 むろんいくつかの峠を越えてのこの燃費ですから、これは驚嘆すべきことではないでしょうか。 大阪北郊から丹後舞鶴までなら¥300乃至¥400もあれば金銭的に行けるわけです。 ガソリンスタンドでこのリトルカブの驚異の性能を初めて直に体感したとき、なんと言うか変な気恥かしさがあって・・・これはいったいどういうことだと。 呵呵と哄笑するほかなかった。 とにかくおどろいた。 しかしながらとりあえず交通費は赤えんぴつで消せました。 このほかにリトルカブ起用以外でなにか良い方法があるならぜひ教えてもらいたいですな(笑)」 あとは御食事代と宿泊費、宿泊費は道の駅・・・でございますね? 「もっぱらそうですね。 車中泊のひとたちなんかとお話しする機会があったりして楽しいです。 ですが別段道の駅でなくてもいいんです。 要は24時間使用可能な洗面所がそばにあったらいい。 じっさい、伊勢では路傍にころがっておりましたし、この稿の天橋立松並木、そして気比の松原といった砂浜でもキャンプ地として寝たことがあります。 海風がほどよく肌をなでてくれて、夏の汀で寝るのはとても気持ちいいもんなんだなあと思いましたね。 気比松原ではある赤松の根元で寝たのですが、目を覚ますと、まぶたを上げた瞬間に見えたものは雄大に覆うように伸びている枝葉でした。 到着したのは夜だったので陰翳すらよくわからなかったんです。 朝のことで周囲にひとなんていませんから、わたしは抱きついてその赤松にとても感謝したのを覚えてます」 つまり宿泊費もタダ・・・と? 「タダです」 たしかテントすら用いない・・・とおっしゃってましたが、そんな路傍や道の駅で寝てて、たとえば物盗りなどは怖くないのでございますか? 「こわいですね、言うなれば丸裸で酒を飲み意識をうしなって寝ておるわけですから。 なのでむろん細心の用心、その方法は確立させています。 ですがたとえばわたしが物盗りとして、いくつもの対象のなかからもしわたしを選んだとすれば、それは ”わたし” という人間に対してなんらかの恨みを持つものの犯行でしょう(笑)、路銀など最小限しか持っていかないしその銭はどんどん地酒やら名物餅などに変わっていくんだから。 なので地酒狙いの強盗なら或いは得心がいきますなあ。 なんだったら・・・旅先のひとたちはわたしをその物盗り、もしくは危険人物とおもって眺めておるんじゃあないですか(笑)、夜なんかひとり半パンいっちょうで泥酔してるわけでしょう?傍から見ればこいつは酔ったいきおいでなにをするかわからない、そう用心されておるかもしれませんね、だとしたら申し訳ないことですが・・・。 恐怖、と申せばもうひとつ警戒しておるのは、やはり野生動物の類ですな。 これは遭遇したら本当にこわい。 今年のはなしで紀州熊野の旅では、その止宿した芝生一面に鹿らしき獣のフンがころころと散らばっておる。 熊野路は多少道路が良くなりつつあるとはいえ本当に山深いし、山容がとても神秘的で威に満ちているといったかんじなんです。 鹿だけでなく熊とか野犬がひょこりと現れても全然ふしぎじゃあないし、少々バラしてしまいますがこの丹後旅行の二泊目止宿地においても、明け方未明に獣の啼き声が遠近から聞こえてきましてな、鹿や猿とかならいいんですがイノシシとか熊なんてのが出てこられたらちょっとかなわんでしょう、こっちは酒やら肴のにおいをぷんぷんさせて地べたにころがっておるわけです。 料理酒などで調理された ”チキンソテー” が寝袋という皿のうえに無造作に載っかっているようなもんでしょう? こりゃいかん、と思いましたね。 まあおかげさまでこの日はかなりの早起きが出来ました(笑)」 最後に御食事ですが・・・。 「いいもん食わなきゃあいい。 ・・・ところでわたしの”きっかけ”から今までの旅についての顛末をなんとなく述べてますが、ひょっとしたら滑稽感を帯びてませんか?ダイジョウブでしょうか」 ええ、続けて下さい。 「高価なものです・・・たとえば京都なら奥座敷である貴船の川床なんかに出てくる会席とか、滋賀県なら近江牛ステーキ、伊勢なら伊勢海老とかアワビ、松阪牛も美味そうですね、そして日本海ならやはりカニでしょうなあ。 まあそういった高価な食い物ですね」 お食べになられたらよろしいのに。 「あなたわたしの話しを聴いてましたか?そんなことさらっと言うもんじゃありませんよ、そりゃたれだって食いたいに決まってるじゃないですかっ、あたしだってほんとは食いたいんですよっ、あたりまえでしょう?刺身が大好物なんだからっ。 ですがここでその美食的欲求をぐぅっと捻じ曲げてですな、そんなの食わなくても安価で美味いもんがある、その土地ならではといった物産品や名物がいくつかはあるはずなんです。 それを食って飯のことは充分満喫した、という思考を身につける。 やればできます」 御食事代といえばお酒などは? 「きほんワンカップです。 その土地の地酒の。 これは直線的な満喫感が得られます」 そのほか一般の旅行者様とは異なる対処法というか、なにかその他についてやっておられることはございますか? 「ちゃんとやっておられるかたたちもむろんいてるでしょうが、あとはまあ現地でだらだらしない、ということでしょうか。 旅の前にある程度の知識を得ておく。 最低限の知識を勉強しておいてお寺さんなり神社なりを観照するわけです。 客観は主観によって構成されますね、つまりおなじ殿舎や仏堂を眺めてもその景色はその個人によって印象などが変化してしまうわけです。 ¥300の拝観料を志納するにしてもその¥300のなかに或いはものすごい宇宙構造をもった体系がひょっとしたらあるかもしれないわけです。 知らずに見るより知って観るほうが良いとわたしは思うんですね。 つまり観照したい。 拝観においては物質的な”見返り”はありませんが、ここでは”払って得した”、と逆説的になにかを得たいところなんです。 なのでただ単に拝観などにゆくのではなく、前提としてある程度勉強しておいてその時間を有効に過ごす。 そうした準備をするしないによって対象を実見したとき、多少の脳内変化があるとおもいますし、なにより知識を得てそこからスタートする思考は、準備してない人よりは多分にすこし先のところに到達し、そこにはさまざまな結像が浮かびあがってくるとおもえるんですね」 ここで残念ながらお時間のようでございます・・・。 さて下山さん、今回の放送ではいよいよ旅が一歩もすすみませんでしたが。 「わたしのブログ、旅の記事において前代未聞のことがらです。 わたし自身反省とともに少々おどろいております。 次回からはちょっと本腰入れてこの丹後の旅をさくさくとすすめていきましょう、このペースではいつ了るのか、さすがのわたしも不安になってきました」 次回も宜しくお願いいたします、ありがとうございました。 「 ありがとうございました 」 今回は番組後半、旅先の高価な食事についてのくだりで多少下山さんが激情なされましたね、ほほほ・・・。 仙骨ぶっている下山さんもやはり松葉カニや伊勢海老など召し上がりたいわけでございますね、無理が生じてお体お壊しにならねばよいのでございますが・・・。 ちなみ、ちりめは日本海丹後の逸品である 「間人ガニ」 など他所様からいただく機会がたびたびございます。 とても美味しゅうございますわよ、読者みなさまにもぜひ一度は 「間人ガニ」 をお召し上がりいただきとうございますわ。 ではっ、また次回の放送をおたのしみに、御免下さいまし・・・。
by utaushimoyama
| 2013-11-10 09:00
| 丹後半島カブ一人旅 2013
|
Comments(0)
|
ファン申請 |
||