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以下、いつものことながら私事を書く。
年も明けた一月、すでに去っていった古い年が過ぎ新しい年がやってくると、わたしは昨年と一昨年とを思い比べてみる。 なにがあったか、あるいはどのようなことをしていたのかなどを振り返るのではなく、なにか精神的な、その状況においてどう理解しなぜそこに至ったのかなどを覚えている範囲のうちで、まあつまみ上げる作業をする。 とくに、喜怒哀楽の怒と哀がどういった状況であらわれたか、その前後を思い出してみて比較してみるのである。 ちなみに過去の出来事など、わたしは写真や記事を書いたりしてるがそれらにはいっさい触れない。そのような実況証拠というか、写実的なものを見分するのではなく、あくまで意識の範囲内でふりかえってみる。 それが年明け一月から二月のあいだであるという具合で、言ってみてもほんの少しの時間ではあるが、もう何年もそうして振り返ってみるようになった。 唐突だがビジネスマンなら手帳にその日のスケジュールが書き込んであって、完了すると赤線で消していき、帰宅してからもう一度手帳を開き、その各予定をどのようにこなせたか、ゆっくりふりかえる時間をつくってあると思う。 その時間のなかで、その日のこの予定はこのように行動しよう、実行した、そして結果というそれら点が一条の線としてつながり、当初の立脚点から様々な結実を生むことになるわけだが、設けた「ふりかえる時間」というのは、うまくいった場合のとき、良い結果にたいし悦に入る時間ではなく、むろんなんとなくな時間つぶしでもなく、きっと反省と次回への改善を得んがためのものと、ビジネスマンではないわたしはそう思っている。 わたしは「論語」という20篇からなる孔子と弟子の問答を集録した書物があることを知り、読んでみようとおもった。いまだ全篇は読み切ってないが、きっかけは、『使う!論語』(渡辺美樹著・知的生き方文庫)、という一冊の本からであった。 当時、目の覚めるようなおもいで読んだことを覚えている。 はずかしながら氏と同意見のものもあったが、しかしながら私としては氏が述べる言葉や勧める内容は、言うなればお釈迦さんの教義のようで、解脱をせよ、と説いているように思ってしまった。なにかこう、氏の完全無欠な精神力と行動に口をぽかんと開け仰ぎみているといったようなかんじで、そののち、何回か読み返してはみたがその印象はさほど変わらなかった。 ただ氏は一読者のわたしに対しそのことを見透かしたように、「きみにもできる」、と説き、さらには、「それは逃げだ」、とも忠諌し、ぶったおれるまで目いっぱいやってみろ、とその文章から火の出るような情熱と、氏の高い人間性をかんじさせる一種の清涼感を伴いながら書き進めておられる。 「あっ、でもにげた、おい、しもやまが逃げたぞーっ」 ぶったおれるまで、と書いてあるが、なにも棚に上げたアドバイスではなく、むろん痴呆評論家的放言でもない。氏はぶったおれるどころかもっと大変な状況、状態などになったことがあるようで、起業するうえで生き馬の目を抜く社会の山野を跋渉し今にある氏のこの著作は、小さな文庫本ながら金言が繽紛と飛散している。 氏はこの著書において、論語に準拠し精神的基底として氏自身の実体験から社会、人生における総体的な思考の体系を惜しげもなく披露しており、「これからのひとたちへ」、と、論語を通じ思いのまま感じたことを力強くアドバイスしていて、読んでいてまこと一縷の隙もない。 また、表題どおりありとあらゆる状況で論語を用い、さまざまに意識を飛翔させ実践し、大欲張りに目いっぱい論語を利用している。 読んでいて著者のはつらつとした息づかいや自己哲学における不動の精神、それにともなう生命力や、胸を張った堂々たる正義感といったものが随所に漲っており、ページを繰るごとに強く感じれて驚嘆するほかない。 そしてこの著作における収益、印税等はすべて特別非営利法人に寄付されるとも、ちいさく明記してあった。 わたしにかぎって言えば、はじめのうち何回か読んだころは、 (これはすばらしい本だ、さっそく) と感に堪えそののち、 (同じ人間としてはずかしい) とおもうようになりしまいには (これなる渡辺美樹先生は生ける聖賢であり超人である。だからこそである) と、氏がいちばん、「なるんじゃないぞ」、と著書のなかで諌めてた人間になりはててしまった。 「あのやろうっ、どんどん逃げるぞ、つかまえろー」 しかしながら一書生のわたしが勇を鼓して言えば、一千万にひとりともなれないと言われる解脱者となる自分が未来にいることをイメージし、 「自分を律し、まわりのひとびと、この社会にその身がこっぱみじんになるほどに貢献せよ、それが男児の本懐であり志であり、その名、史に刻むべし」 と、これは多分にわたしの個人的解釈だが、この著はひとつのすさまじいばかりのいのちの使い方を述べており、きまじめなニート体質のひとが読んだら逆蜻蛉に狂乱してしまうのではないか。 わたしは一度、大阪郊外にある氏が創業された、その名前からとったであろうチェーン展開してる居酒店で、その本の存否を従業員に尋ねたことがある。 「すみません、知らないです」 と、十代と思しきアルバイト店員ははにかみながらこたえた。 聞いた当時はその従業員の言葉に、 (まあ、そうだろうな) と思ったし、「いや、わたしもこないだ知りまして」、などとも話した。話しながらこの著書における氏の真髄というか、実はすこしも理解してなく、この店員と同じような返答をすべきではないかとも思った。 まこと、この著書の助言どおり実践、行動することもできなく、思弁的な域を出られず、朝バイトの車中での清涼剤として一読するといったかんじで、はずかしいかぎりなのだが、以上はこの著書における一番なってはいけない読者の一例である。 ただ快著であることはまぎれもない事実で、これからも拙宅の書架を出たり入ったりする、わたしにとって手放せない一冊なのである。 「あのインパラやろうどこいきゃがった、かげもかたちもないぞ」 わたしは、昨年とその前とを振り返る。 よかったことやかわらなく諒なものはどうでもよく、そのほかの赤線群を検討するためである。 喜怒哀楽の怒と哀を催したそのときの状況と、それに向かった感情の正否を確かめたい作業である。とくに怒りの感情を精緻に振り返ることが要諦であり、たとえば勃然とおこった怒りがどのように終息したか、それは横紙破りに押さえ込んだのか、あるいは整頓された認識のうえで得心し表出しなかったのか、さらには起こりすらしなかったなど、わたしはこれらを考察する、この作業はより高い人間性を目指すひとつの方法であると思っている。 わたしは感情の行く末、在り方にまこと不熟な人間であるので、この作業の是非はともかく、千千としてある良書からこれからも学んでいくつもりだということを、この時期に再確認する。 上掲させてもらった渡辺美樹氏のこの卓絶した著書も、むろん、良書たる一冊であることは言うまでもない。
by utaushimoyama
| 2013-02-11 10:48
| 雑報
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